その 言えなかった「ありがとう」を・・・





 「すわっ!! 藍華・・・何度言えばわかるんだ?」

 「そんなこと言われても・・・」

 「すわっ!! 口答えは禁止だ!! ちゃんと部屋を綺麗にしとけって何度言った?ええっ!?」

 「だってぇ・・・練習が・・・」

 「なら、明日から 合同練習禁止だ!!」

 「そんな、ひどいよ! 晃さんの意地悪っ!!」




 晃と藍華の激しいやり取り・・・

 その中でも平然としているヒメ社長・・・

 彼女にとっては日常的なことに過ぎないのだろう。





 「だったら、ちゃんと片す事だ。・・・またあとで見に来るからな。」

 「・・・・・・もう、うんざりだよ・・・」

 「・・・なんか言ったか?藍華。」

 「何にもっ!」

 「じゃあ、またあとでな!」



 ばたりっ

 勢い良く閉められるドア・・・



 「ふぅ・・・・・・なんだか やんなっちゃったなぁ・・・・・・」



 ため息をつき ベッドに腰をかける藍華。

 そのまま後ろへと倒れこむ。

 すると、彼女に歩み寄り、そのまま寄り添うヒメ社長。


 「ヒメ社長・・・ありがと。」



 やさしく頭をなでる藍華・・・

 ヒメ社長は少し目を細める。

 


 「さて・・・どーしたもんかなぁ・・・」



 しばし考え込む藍華・・・

 突然むっくり起き上がる。



 机に向かい、少し考え込んだ後に何やらメモ用紙に書き始める。

 その内容を知ってか知らずか、ヒメ社長は藍華のひざの上に丸まっていた・・・・・・・















 夕食の時間・・・

 晃は大食堂に藍華の姿を求めていた。

 いつもなら、たいていこの時間にお気に入りの席で食事をとる藍華・・・

 だが、今日はその姿を見ることは出来ない。



 「変だな・・・ 別に外で食べてくるなんて言ってなかったよな・・・」



 昼間、少し藍華の様子がおかしく感じられたのを思い起こす晃・・・



 「あいつ・・・閉じこもってるんじゃないのか?」



 とりあえず藍華の部屋に向かう。

 ドアに鍵はかけられていなかった。



 「入るぞ。」




 返事も待たずに入室する晃。

 いつもと同じに・・・



 だが、部屋の主はそこにいなかった。

 ヒメ社長だけが普段どおりにベッドで丸くなっている。

 とりあえずここで彼女を待つこととした。



 「今日は少し・・・変だったみたいだな。難しい年頃っつーやつかな?」



 藍華に対してつい口うるさく接してしまう晃。

 それはもちろん、彼女が憎くてという訳ではない。

 むしろ、最愛の後輩とすら思っている。

 だが、晃の性格上それをストレートに表現することはない。

 歪んだ形で『愛の鞭』としてふるわれるのだった。


 そして・・・


 藍華もそれを受け入れていた。

 口ではアリシアを最高の先輩だと言い放ち、晃を鬼呼ばわり・・・

 でも・・・晃に対しては特別な信頼感を置いていた・・・筈であった・・・


 しかし・・・


 藍華も素直とはいえない面がある。

 極度な照れ屋のため、肝心なことを表に出さず、内に抱え込むことも時折ある。

 先輩として・・・いや・・・むしろ姉に近い感覚で・・・

 その『内なる藍華』を汲み取るようには心がけてはいるのだが・・・




 「あたしも・・・まだまだだな。」



 日没から時間が経つにつれ徐々に窓から見える景色が闇を帯び始めていく。

 それをボーっと見つめている晃・・・

 すると・・・



 「ん?」



 藍華の部屋の真下・・・

 よく見知った若きウンディーネが立っていた。

 自分たちが身に着けている姫屋のユニホームとは異なる青ライン・・・

 ARIAカンパニーのものだった。



 「灯里ちゃん?」

 「あ、晃さんっ! 藍華ちゃん・・・いますか?」

 「・・・え?」







 藍華の部屋の中・・・

 晃と灯里・・・

 普段、この二人で揃う事は割と珍しい。

 前に一度 たまたま一緒に食事をしたときに、たまたま最初はこの組み合わせであった。

 それ以外にはあまり接点が多いとは思えない二人だ。

 それでも、晃は灯里のことをよく知っていた。

 幼馴染のアリシアが手塩にかけている大切な愛弟子として・・・

 お嬢様育ちが見え隠れする藍華に出来た初めての『等身大の親友』として・・・



 一方の灯里も晃のことは藍華を通じてよく知っていた。

 厳しさの下に隠されている大いなる優しさも感じ取れていた。





 「・・・藍華の様子が変だった?」

 「はい。いつもの藍華ちゃんじゃなかったんです。何だか思いつめてるというか・・・」

 「・・・話してみろ。何があったんだ?」

 「さっき・・・藍華ちゃん、ARIAカンパニーに来たんですけど・・・」







 今から少し前・・・

 ARIAカンパニーで夕食の支度を整えていた灯里・・・

 すると突然、リビングの扉が開いた。

 まだアリシアは今日の最後の仕事をしているはず。

 誰だろうと思い、振り向く灯里・・・



 「ふぇ? 藍華ちゃん?」

 「あ、灯里。アリシアさんは?」



 少し声が緊張しているように感じ取れた灯里・・・



 「まだお仕事終わってないよ? 藍華ちゃん、何かあったの?」

 「う、ううん、別にぃ。何でもないよ?」



 明らかに何かある。

 灯里にはそうとしか思えなかった。

 藍華との付き合いは浅からぬもの。

 親友の異変には天然ボケの灯里でもすぐに気づく。



 「ホントにぃ?」

 「あー、疑ってるな、灯里。 疑うの禁止っ!!」



 必死で平静を保とうとしている藍華。

 それが逆に灯里には不自然に感じた。



 「・・・水臭いなぁ・・・ 私にも話せないことなの?」

 「だーかーらー、何でもないってば。・・・それより灯里。」

 「何?藍華ちゃん。」

 「明日から暫く、練習お休みするからさ。一応言っとくね。」

 「ええーーーーーーーっ!?」




 『明日は』ではなく、『明日から暫く』・・・

 練習熱心な藍華が練習をそれほど長くすることなど信じられなかった。



 「じゃあね、『さよなら』」

 「え、えっと、藍華ちゃんっ!?ま、待ってぇ!!」



 あまりにも唐突に飛び出た『さよなら』・・・

 灯里はすぐにでもあとを追おうとしたが、火にかけた鍋が噴きこぼれかけていた。

 あわててガスの火を止める。

 その間に藍華の姿は見えなくなっていた。

 そこへちょうど戻ってきたアリシア・・・




 「あらあら・・・灯里ちゃん、どうしたの?」

 「あ、アリシアさん! 藍華ちゃん見ませんでしたか?」



 少し思い返すアリシア・・・

 だが、首は横に振られた・・・



 「藍華ちゃんねぇ・・・会わなかったわよ。」

 「そう・・・ですか・・・」



 灯里はがっくりと肩を落とす。



 アリシアに事情を話す灯里。



 「姫屋に戻ってるかも知れないわ。見てくるといいわね。」

 「でも・・・夕ご飯がまだ出来てないし・・・」



 吹きこぼしかけた鍋を心配そうに見つめる灯里。

 アリシアは仕事で疲れてる筈だ。

 当番の自分がこの場を離れてアリシアに後を任せていいものだろうか・・・

 思い悩む灯里の肩にやさしく手を置くアリシア・・・

 にっこり微笑みながら・・・



 「お友達の方が、大事でしょ?」



 アリシアの一言で灯里の表情が明るくなっていった。



 「はひっ!!ありがとうございます!」



 元気にARIAカンパニーをあとにする灯里・・・

 一路、姫屋に向けて駆けていく。


 普段ののんびりした彼女からは想像がつかないほどの走りっぷり・・・

 それはひとえに《親友》を心配する思いの力によるものであった・・・



 そうして姫屋にたどり着いたところを晃に見つけられた・・・

 という顛末であった・・・







 「・・・なるほどな。灯里ちゃんが最後に見かけてから一時間と経っていない・・・ってとこか。」

 「はい! 確かそうです。 アリア社長がにゃんにゃんぷうを見てましたし。」

 「ったくあいつは・・・どれだけ心配かけりゃ気が済むんだ。」



 晃自身も心配はしている。

 でも・・・彼女の目の前にいる灯里を見れば、深刻な事態ではと思わざるを得ない。

 普段のあの素晴らしい笑顔を失っているのだから・・・



 「アリスちゃんには連絡したのか?」

 「いいえ。あ、とりあえずアリシアさんに電話してきます。」

 「なら、ついでに・・・アリスちゃんかアテナにも訊いてみたほうがいいな。」

 「わかりました!」



 電話をかけに降りていく灯里を見送ると、晃は周りを調べ始めた。

 藍華の机・・・本棚・・・クローゼット・・・

 相変わらず整理整頓がなってないように思えた。



 「ん!?・・・これは!?」



 本棚に置かれた本の一冊に何やらメモ書きが挟まっていた。

 少しだけ顔を出している程度なので、注意してみないと気づかない。



 「!!」



 メモ書きを読んだ晃は言葉を失った・・・



 ややあって、灯里が戻ってきた。



 「あ、晃さんっ! アリスちゃんもアテナさんも藍華ちゃんの事は見てないって・・・」

 「そうか・・・それより灯里ちゃん、これ、読んでみて!」

 「え?」



 灯里に差し出されたメモ用紙・・・

 目を落とした灯里は絶句する・・・




 『探さないで下さい。 藍華』





 「あ、晃さん・・・これ・・・」

 「・・・家出だな・・・間違いないだろう・・・」

 「・・・アリシアさんたちに連絡してきます。」

 「あ、私も一緒に行こう。それとな、灯里ちゃん・・・」

 「え?なんですか。」

 「この事は姫屋の ほかの連中には知られないようにしておこう。」



 一瞬「え?」と思った灯里だったが、すぐに真意を汲み取った。



 「・・・そうですね。騒ぎが大きくなりすぎたら、藍華ちゃんが帰って来づらくなっちゃう。」

 「そーいうことだ。ARIAカンパニーにでも泊まってることにしておくよ。」



 とりあえず二人はARIAカンパニーへと向かった。












 「ずいぶん歩いたわよね・・・」



 あてもなく歩き続けていた藍華・・・

 途中水上バスなども利用したが、どこから乗ってどこで降りたかなどは覚えていない。

 足の向くまま、気の向くままという一人旅であった・・・



 幸い、彼女はそこそこの所持金を持っている。

 最悪でも野宿だけは避けることが出来そうだ。

 それにしても、狭いと思っていたネオ・ヴェネツィアがやけに広く感じられる。

 実際には同じ場所を何度も回っているだけだったかも知れなかった。

 それでも、体感的には相当の距離を移動したように思えた。



 「灯里くらいには、もうちょっと話しとけば良かったかな・・・」



 衝動的に家出をしてしまった藍華・・・

 それでも彼女の脳裏に浮かんでは消える よく見知った仲間の顔・・・

 灯里・・・アリス・・・アリシア・・・アテナ・・・猫社長たち・・・そして・・・



 「晃さん、心配・・・してるのかな?」



 だが、すぐに彼女は思った。

 あの晃に限って心配などしている筈ないと・・・





 「みゃぁ」

 「ぎゃーーーーす!!」



 いきなりの猫の声に驚き、思わず奇声を上げてしまう藍華。

 逆に猫の方が驚き、走り去ってしまった。

 道の端から藍華を見つめる猫・・・



 「なあんだ・・・猫か。」



 あたりをよく見回すと、暗がりの中にいくつもの猫の目が輝いていた。



 「何気に・・・猫が多いわね。ま、アクアって結構猫だらけなんだけどね。」



 再び歩き始めた藍華。

 猫たちは彼女をじっと見つめていた。



 夜霧が徐々に深まっていった。

 謎めいた雰囲気を漂わせながら・・・・・・




 「そろそろ、泊まる場所考えないとね・・・」



 勢いだけで飛び出してきてしまった藍華・・・

 そう簡単には帰ることは出来ない。

 それゆえ、あまり高い観光用のホテルに泊まることは極力避けたい。

 路銀の枯渇は破滅を意味することになるから。

 でも・・・

 若い女の子一人で泊まれる宿などそうそうあるものではない。



 霧はさらに深まり、街明かりはぼんやり滲んで見えるようになってきた。

 見通せる距離が徐々に狭まり 遠くに何があるかはもはや確認不能となっていた。

 焦りを強める藍華・・・



 「ま、マジでヤバいんですけどー・・・」

 「にゃーーー」

 「!!」



 彼女の耳に猫の声が届いた。

 さっき見かけた猫とは異なった鳴き声が・・・



 導かれるように 声のする方向へ歩みだす・・・

 すると見知らぬトンネルがぽっかりと口をあけていた。

 どうやらその中から聞こえているようだ。



 「まあ、最悪トンネルの中なら、外よっかいいっしょ。」



 トンネルの入り口をくぐり、猫の鳴き声を追い続ける藍華・・・

 かなり長いトンネルのようだ。

 薄暗いが、一応照明は生きていた。

 行く道を確認することくらいは充分出来そうだ。



 暫く歩いたが、まだ終わりが近づいたような感じはなかった。




 「出口は・・・まだみたいね。」




 彼女は気づいていなかった・・・

 彼女の周りに無数の『目』が光っていたことを・・・

 そして彼女を見守っていたことを・・・・・・



 さらに彼女はどんどん歩いていく・・・

 トンネルの奥深くまで・・・








 「あれ? 何だか妙に明るいわね?」



 トンネルの先の方から光が差し込んできている。

 今は夜・・・

 街明かりにしては明るすぎるように思えた。



 「なんだろう? ま、行ってみるか。」




 進むにつれ、光はどんどん明るくなっていく。

 まるで昼間のように。

 だが、夜通し歩いたような感覚はまるでなかった。

 不思議な感覚を覚えながら光の方向へ歩いていく藍華・・・



 「きゃっ!? 眩しいわねぇ。」



 いきなり藍華を襲う《光のシャワー》!

 長いトンネルを抜けるとそこは・・・まっ昼間だった。



 「ぎゃーーーーーーーす!!」



 何が何だかわからない藍華は、ただ奇声を発することしか出来なかった・・・

















 「藍華の行きそうなところ、どこか心当たりはないのか?」

 「ん〜・・・ないですね・・・」

 「でっかい 突然ですから。」

 「あらあらあら・・・」

 「私も・・・何も聞いてないわ・・・」

 「ぷいにゅ。」

 「まぁー。」

 「みゃ〜〜ん。」


 ARIAカンパニーの2階・・・

 ロビーに集う5人。

 晃、灯里、アリス、アリシア、アテナ、アリア社長、まぁ社長、ヒメ社長(発言順)・・・

 皆、心配を隠せない表情だ。

 もっとも・・・

 まぁ社長とヒメ社長は表情がいまいちわからないが・・・



 「それにしても、灯里先輩にすら行き先を言わないなんて でっかい理解不能です。」

 「そうだな。私はともかく灯里ちゃんには言うと思うんだがな。」

 「そうねぇ。藍華ちゃん、灯里ちゃんとすごく仲良しさんなのに・・・」



 灯里は心配顔でふさぎ込んでいる。

 そこにはいつもの素晴らしき笑顔はまったく見えなかった。



 「にゅ!!」

 「ほへ? ・・・アリア社長・・・・・・?」

 「あらあら、どうしたのかしら?」



 いきなり立ち上がったアリア社長。

 灯里とアリシアは彼をじっと見ている。



 「なんだか・・・アリア社長、『任せて』って言ってるみたいね。」



 アテナの一言にみな息をのむ。



 「アテナ・・・お前、わかんのか?」

 「ん、なんとなく・・・」

 「・・・《なんとなく》かよ・・・」



 少しがっかりした晃。

 だが・・・

 それに対して意見する灯里・・・




 「あ、あの、晃さん。私もアテナさんと同じように思います。」

 「そうね。アテナちゃんって相手の気持ちを汲み取るのが得意だったわね。」

 「その点だけは・・・でっかいすごいですね。」

 「《だけ》・・・なの?・・・」




 アリスに言われた言葉で少々ショックを受けているアテナ・・・

 スリムな長身がやけに小さく見える。



 「・・・ま、ほかに何か手がかりがあるわけでもないしな。」

 「ですね。」

 「にゅ!」



 アリア社長は、任せろと言わんばかりに胸を反り返していた・・・











 「ここは・・・どこかな?」


 トンネルを抜けた藍華の目の前に広がる景色・・・

 それは、良く見知った姫屋の近所のものだった。



 「結局・・・戻ってきちゃったのかな?」



 だが、なにやら微妙な違和感を感じる。

 どこかが違っているようだ。




 「・・・どこかで見た顔だな?」

 「ぎゃーーーす!!」



 後ろから声をかけられ慌てる藍華・・・

 そこに立っていた人物は・・・

 姫屋のコスチュームに身を包むウンディーネだった・・・

 だが、その顔は何故か晃と良く似ていた。

 髪がほんの少し短く、微妙に若く見えることを除けば・・・



 「悲鳴といい、顔つきといい、なんだか藍華に似てるな・・・・・・」

 「ぬなっ!?」




 藍華は思った。

 これは間違いない!

 過去の晃と対面してしまったのだと・・・



 「あの・・・ウンディーネさん? お名前を教えてくださいますか?」

 「名前か・・・ 私は姫屋の晃・E・フェラーリだ。」

 「やっぱり!?」

 「すわっ!! やっぱりだと?」

 「い、いえ。有名ですから、晃さん。」



 思わず声に出してしまった「やっぱり」を必死でごまかす藍華。

 幸い、うまくごまかせたようだ。



 「まぁ、当然だな。ウンディーネ界で天下を取るこの晃様、

  まだプリマになったばかりでも もう有名人っつーわけだ。」


 「え、ええ。それはもう有名ですよ。あはははは・・・」



 話をあわせながら藍華は思った。

 晃がこういった性格で助かったと・・・


 「で、晃さん。さっき言ってた私に似てるという 可愛い藍華さんって人って・・・」

 「おい、誰も可愛いなんて言ってないぞ?」

 「そ、そうでしたっけ。」



 その時《内なる藍華》の独り言・・・

 『お世辞でも可愛いって言ってくれてもいいじゃん。』




 「藍華は、姫屋の経営者の一人娘だ。なんでもウンディーネになりたいらしいんだがな、

  お嬢様育ちの関係かわがままで意地悪。友達もいない、ときてやがる。」


 「そ、そんなことないんでしょ?本当は・・・結構可愛くてやさしくて人気者で・・・」


 「・・・おい。・・・何でお前そんなにあいつの肩を持つんだ?」


 「な、なんででしょーね。あはははは・・・・」


 藍華の背中を冷たいものが走り抜ける。





 「ま、いっか・・・・・・

  でな、その藍華を、一人前のウンディーネにするために指導することになったんだ。

  この晃様がな。」



 「そ、そうなんですか。」


 「ああ。一応これでも実力にはちょっと自信があるんだ。

  藍華はハイスクールを卒業したら、姫屋に正式に入社して修行を始めることになってる。

  だから、指導をよろしくって、経営者のグランチェスタさんにも言われてるんだ。」


 「お父さ・・・」


 「ん?」


 「ぬなっ! なんでもないですっ!」



 ポロっとこぼれた「お父さん」を必死でごまかす藍華。

 相手が違えば思い切り突っ込まれるポイントであろう。

 だが、晃といえば・・・



 「まぁいいか。・・・でもな、最近、この私もちょっぴり自信がなくなってきたよ・・・」

 「え? 晃さんが・・・ですか?」

 「まあな。私だって・・・普通の人間なんだって実感することもあるさ。たまにだけどな。」

 「そう・・・なんですか?」



 藍華は少し不思議そうな顔をしている。

 ふぅっと息を抜く晃・・・



 「藍華のヤツが、ダメダメなヤツでさ・・・」



 「ぬなっ!?」



 「とりあえず、卒業の前から下準備は早い方がいいだろうって部屋を与えてあるんだが・・・

  あいつときたら、部屋は片付けない、口答えはする・・・

  その上二言目にはアリシアさんっ アリシアさんっだ。」




 「はははははは・・・・・・」





 晃の容赦ない突っ込み・・・

 藍華は引きつった笑顔を浮かべることくらいしか出来ない。



 「うん?・・・どうかしたか?」

 「い、いえ・・・にゃんでもぉ・・・・・・」


 そんな風に思われていたなんて・・・

 わかってはいたけど、ショックだった藍華は石化寸前だった。



 「ま、いっか。でな、その上・・・泣き虫だし。」


 ぐさっ!!


 「生意気で過剰な自信家だし。」


 ぐさっ!!


 「・・・あれじゃあ友達なんて出来ないだろーな。」


 ぐさささっ!!



 胸に何本もの矢が突き刺さった藍華。

 そのまま立ち往生してしまいそうだった。



 「・・・まるで昔の・・・私を見てるみたいでな。

  アリシアの奴がいなかったら、私もあまり偉そーな事は言えなかっただろう。」


 「晃さん・・・?」


 「でさ、藍華には同じ道を歩んでほしくないんだ。もっと真っ当な道を進んでほしい。」


 「真っ当な・・・道・・・」



 晃の顔をそっと見あげる藍華。

 すると、晃の顔は優しさに包まれた穏やかな笑顔に満ちていた。



 「あいつは、藍華は私とは違うんだ。 本当はがさつでもないし、優しい奴なんだ。」

 「!!」


 一気に頬が真っ赤に染まる藍華。



 「それに、不器用だけど素直で、誰よりやさしい奴だ。・・・本人にはナイショだぞ!」

 「ぬなっ!?」


 もう、赤面の限界突破を起こしそうな勢い。

 これ以上食らえば、オーバーキル状態で即死しそうにすら思えた。



 「だから、ちゃんと真っ直ぐに育ててやりたいんだけど、難しいものだな・・・」



 「・・・晃さん・・・ いえ、晃さんなら・・・大丈夫だと思います。うん!」



 「果たしてそーかな・・・ じゃあ、何で『お前』がここにいるんだ?

  大方、先輩のしごきに嫌気が指して逃げてきたんじゃないのか? うん?《藍華》。」


 「・・・え!? ぎゃーーーーーーーーーーす!!」



 思い切り正体がばれてた・・・

 藍華はショックで心臓が止まり・・・そうになったが、どうにか持ちこたえた。



 「あのさぁ・・・バレバレだぞ藍華。

  ・・・っつーかさ、私がお前のこと 髪形が違うくらいで気づかないって思ってたのか?

  一応、これでも大事な後輩だと思ってるんだからな。」


 「え?」


 「気づかなかったのか、ここまでの話を聞いてて・・・

  まだ教え始めたばっかしの後輩のことを、なんでここまでズバズバ言えるんだろうってさ。」


 「・・・あっ!」



 「私とどこか似てるなって、ずうっと前から気にかけてたんだよ、これでもな。

  グランチェスタさんに頼んだのは・・・私からだったんだ・・・」



 ここまで言うと、今度は晃の方が真っ赤に染まった。

 ウンディーネ服の赤ラインと競い合うかのような真紅の頬・・・

 それは、藍華にとっては初めてかもしれない新鮮な驚きを与えた。



 「ま、まあいろいろあるだろーが、私もなるべく頑張るよ。

  おまえも、こんな先輩に教わることに不満たらたらだろーけどさ、

  ちっとは我慢してくれると嬉しいかもな・・・なんてな・・・・・・」


 「・・・晃さん・・・・・・・・・・・・・・・・」



 藍華の頬を一筋の銀の糸が走る。

 彼女の想いが 瞳からぼろぼろと止め処なく零れ落ちる。


 「なっ!? 藍華っ、おい!! 泣くなってば!」

 「あ、晃さん・・・・・・・ごめんなさい・・・」

 「泣くなって!! 私が涙苦手なこと、お前知ってるんじゃないのか?!」

 「だって・・・とまらないよ・・・・・・ごめんなさい・・・」

 「すわっ!! メソメソ禁止っ!!」



 もう止まらなくなってしまった藍華・・・

 晃の胸でひとしきり泣き続けた。

            ・

            ・

            ・

            ・

            ・

 「・・・やっと、落ち着いたみたいだな。」


 「はい、すいませんでした。もう、大丈夫です。」



 まだ目が少し赤いが、ようやく元に戻った藍華。 

 晃はじっと見つめてしみじみと言い放った・・・



 「そうか・・・ お前、泣き虫は直ってないみたいだな。」



 「自分じゃ直ったと思ってたんだけど・・・まだまだですね。」



 「ま、直す必要なんてないけどな。

  泣き虫も含めて、藍華らしさっつーもんじゃないかな。なんてな。」



 耳の先まで一気に紅潮した藍華!

 まるで全身の血液が沸騰しそうな感覚。


 「恥ずかしいセリフ禁止っ!」


 「すわっ!! 今のどこが恥ずかしいんだよ?っていうか、この晃様に言うとはいい度胸だな?」


 「うっ・・・反射的に。・・・灯里のヤツのせいだわ。もうっ!」


 「《灯里ちゃん》って、お前の友達か?」


 「ええ、まあ。いつも合同練習してるんですけど、恥ずかしいセリフばっか言ってて・・・」



 灯里の話をする藍華の瞳は輝いていた。

 憧れのアリシアの話をするときとはまた違った輝きを秘めた瞳・・・

 晃は安堵と満足の笑みを浮かべた。




 『私の教えだけじゃないな、きっと・・・

  その《灯里ちゃん》っていう子のおかげもあるだろーし・・・

  何より本人が一番変ったんじゃないかな? 心を開いたりとかしてさ・・・

  あんなに生き生きした笑顔、できるんだもんな。』



 《その頃》の藍華は・・・

 経営者の娘という事だけでちやほやされていることも多かった。

 本人も自覚しており、決して天狗にはならなかった。

 その反面、自分のことをちゃんと見てくれている人の存在を感じられずにいた。



 初めての、《まっすぐな心》でぶつかってきた晃・・・

 藍華は初め、大いなる戸惑いを感じていた。

 こういった接し方をしてくれる人はいなかったから・・・

 思ったことを口に出さずにおべっかを使う人たちばかりだったから・・・



 その後、徐々に打ち解けていくのだが・・・

 《今 藍華が出会っている晃》の頃は、まだそこまでの関係にはなかった。

 晃自身、強い不安を覚えていたのも事実だ。



 『はたして・・・私でいいのか? 藍華をちゃんと育てられんのか?』



 決して顔には出さない。

 いつでも毅然とした態度を忘れない晃・・・

 絶えず笑顔を忘れないアリシアとは対照的にすら見える。

 とはいえ・・・

 彼女だって普通の女の子・・・

 不安を感じたり弱音を吐きたくなることだってある。

 だが、それらの《甘さ》を自ら封印した晃・・・

 厳しい表情の《仮面》・・・

 その裏側を知る者は少なかった。



 けれども、今・・・

 まだ途中段階とはいえ・・・

 まだまだ未熟とはいえ・・・

 成長した藍華を目の当たりにして 少し安心できた晃であった。



 「ぬなっ?! 晃さん!?どうしたんですか、そんなに見つめちゃって・・・」



 無意識のうちに藍華に突き刺していた熱い視線・・・

 戸惑いを感じている藍華・・・



 「あ。悪い悪い。ちょっと・・・嬉しくってな。」

 「へっ?」

 「・・・何でもないよ。」 

 「変な晃さん。」





 遠くから流れてくる教会の鐘の音・・・

 時を告ぐる響き・・・



 「おっと、やばいやばい。そろそろ姫屋に戻んないと次の仕事が待ってるな。」

 「そうですか。頑張ってくださいね。」

 「ああ。頑張るよ。」



 姫屋に向けて歩き始めた晃・・・

 細い水路にかけられた橋を渡っていく。

 徐々に遠ざかる影・・・

 藍華の胸にプレイバックされるヴィジョン・・・

 それは 晃の彼女への想い・・・

 胸を熱くして 思わず手を振り叫ぶ藍華。



 「晃さーーーーん!! ありがとうございますーー!!!」


 振り返る晃。

 藍華は目にうっすら涙を浮かべながら必死に手を振っている。



 「すわっ!! 藍華! 礼を言う相手が違うだろ?」

 「え?」



 ニッと笑いながら 優しい声で晃は続けた・・・



 「今の私じゃなく、『お前の時代の私』に言うべきじゃないのか?それと『灯里ちゃん』にもな。」

 「!!」

 「よろしくな!未来の私たちに・・・」

 「はい。・・・晃さんも、『この時代の私』をよろしくお願いします!」

 「ああ、わかったよ。じゃあな!」



 再び歩み去っていく晃・・・

 にわかに霧が深まり、藍華の視界を狭めていく。



 遠くからかすかに聞こえる猫の鳴き声・・・



 「こっちへ来いっていう事かなぁ・・・」




 声の方向へ歩みだす藍華・・・

 再び長いトンネルに入ったようだ。




 「元の世界へ・・・戻れるんだよね。きっと・・・」













 「おい、灯里ちゃん。本当にこっちなのか?」

 「はひ! アリア社長がこっちだって言ってます!」

 「にゅ!!」



 アリア社長を抱きかかえた灯里の後をついていく晃・・・

 こちらは『現代』の世界だ。



 藍華の行き先を感じるというアリア社長に導かれ、二人はある地点へと向かっていた。

 そこは・・・《一番古い橋》。

 かつて、灯里はこの橋を渡り、水の惑星アクア誕生の瞬間を目撃したことがあった。

 それは、100年以上もの時を遡る出来事・・・

 灯里はこの橋に 何か不思議なものを感じていた。





 「ん? 誰もいないぞ?」

 「本当に・・・ここでいいんですか?アリア社長・・・」

 「ぷいにゅ!ぷいにゅ〜!!」




 思い切り胸を張るアリア社長。

 まるで、古きマンホームの《イナバウアー・アラカワVer.》という技のように・・・




 「!!」

 「どうかしましたか?晃さん。」

 「藍華が・・・来る・・・」

 「ほへっ・・・・・・・・・・・  あ!! 本当です!!藍華ちゃんが・・・」



 橋の向こうから何者かが近づいてくる。

 まだ、誰なのか確認できる距離ではない。

 それでも、晃には・・・そして灯里には・・・

 ちゃんとわかっているのだ。

 今、彼女たちが最も会いたい 大切な人であることが・・・




 どうやら 藍華のほうもこちらに気づいたようだ。

 近づいてくる足取りが軽く、早くなってきたのが感じられる。

 急激に近づいてきた影・・・

 トンネルの出口から勢い良く飛び出し、晃にしがみつく!!




 「すわっ!?」

 「晃さん・・・・・・晃さん・・・・・・・」



 消え入りそうな声で、うわごとのように晃の名を呼び続ける藍華・・・

 晃はそっと彼女の頭を抱き寄せ、優しく包み込む・・・

 見守っている灯里の瞳にも光るものが滲んでいた。

 アリア社長も、安心したように目を細めていた。


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 「・・・どうして家出したのか、聞かないんですか?」



 おずおずと晃に尋ねる藍華。

 晃はそっと藍華の髪に手を置き、軽く撫でながら答える。




 「過ぎたことには興味はない。それに、お前もう反省してるんだろ?」



 「はい・・・」



 「だったら、私からいう事なんて、なんもないさ。」

 「・・・晃さん・・・」



 藍華の瞳から流れ落ちる想いの雫・・・

 晃の瞳も心なしか潤んでる。



 「よかったですね、アリア社長・・・ 藍華ちゃんが無事で・・・」

 「ぷいにゅ。」

 「あ、灯里・・・今回はごめんね・・・本当に・・・ごめんね・・・」

 「あ、藍華ちゃん・・・・・・!!」




 今度は灯里をしっかりと抱きしめる藍華・・・

 灯里も藍華を抱き返す。



 「灯里にも・・・心配いっぱいかけちゃったみたいだね・・・ 本当にごめんね・・・・」


 「ううん・・・いいよ。

  だって・・・私だって、藍華ちゃんに今までも、これからも・・・

  いろいろ心配や迷惑、きっとかけちゃうって思うから・・・」


 「灯里・・・」


 「それにね、藍華ちゃん・・・私たち お友達だもん。」


 「!!」



 灯里のとどめの一言・・・

 《素敵な泣き虫さん》の涙腺は、今 完全に決壊した。


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 しばし灯里の胸を濡らし続けた藍華もようやく落ち着きを取り戻した。

 ちょっと心配そうに見ていた二人に向けて口を開く。・・・


 「そうだ! 晃さんと灯里に言わなきゃって思ってたことがあるんだ。

  ・・・って、・・・う、切り出しては見たけど・・・やっぱり恥ずかしいかも・・・」



 「何だ?藍華。はっきり言ってみろ。」



 「なあに?藍華ちゃん??」




 戻ったら、真っ先にこの二人には言わなくては・・・

 そう 心に決めていたのに・・・

 いざとなると言えない・・・



 『だめよ、藍華。そんなことじゃ・・・

  言いたいことを言えないなんて私らしくないじゃない!

  こんなことじゃ、またいろいろ溜め込んで、また二人に心配かけちゃうわよ。

  もう、うじうじするの禁止!!だからね。』



 《内なる藍華》が藍華の背中をそっと押す。

 今こそ勇気を持って・・・

 一番伝えたい言葉を 一番伝えたい二人に・・・




  「晃さん! 灯里!

        本当に ありがとう!!」






〜〜〜〜〜おわり〜〜〜〜〜〜

 あとがき(言い訳とも言う)


 今回、ラストの書き方ですごく悩みました。
 でも、最終的には、一番言わせたかったことを言わせて終わらせる形をとりました。
 その方が 言葉が生かせるかなと思って・・・
 もちろん、このあとで藍華ちゃんがやるべきことは残ってるのですが・・・
 あえて、その部分は書かずに終わらせたというわけです。

 この作品の元になったのは、なんと「でっかいシアワセです。」という歌です。
 あの歌はアリスちゃん中心ですが、藍華ちゃんのソロパートがあります。

 「強がって いつも後悔ばかり 本当は伝えたい『ありがとう』」

 その部分で描かれていた藍華ちゃんの隠された本音をSSとして書いてみよう。
 そう思って書き始めて・・・思いのほかシリアスに転がって・・・
 シリアスものはあまり書いた事がないので でっかい困りました。
 おかげで、本作執筆途中に書き始めた短編が先に2作も脱稿する有様・・・
 でも、とりあえず形にできてよかったです。

 藍華ちゃんにとって、もちろんアリシアさんは憧れの対象・・・
 アリスちゃんも友人兼練習の後輩。
 アテナさんも他社の先輩(というか友人の先輩)
 みんな親しい間柄です。

 でも、一番近しく大切な関係の人は・・・
 わがままな自分を受け入れてくれた最初の親友・灯里ちゃん・・・
 そして、いつも真っ直ぐにぶつかってきてくれる晃さん。
 この二人は別格ではないでしょうか?

 原作では藍華ちゃんが灯里ちゃんをアリスちゃんに取られる(と勘違い)事に嫉妬したことも・・・
 それだけ大切な友達だという事がわかるエピソードですよね。(アニメになかったのが残念)
 信じてるからこその手荒なじゃれあいも可能なのではと思いますし・・・
 (何べんも灯里ちゃんのほっぺを引っ張ってますよね、藍華ちゃん・・・)
 晃さんとの絆は、もうここに書くまでもないですし・・・


 ここまで読んでくださった方に心から・・・


    『いつも本当にありがとう・・・』 


背景素材:Queen's FREE World 様


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